先日の記事に引続き、今回も謝りませんシリーズ。ただ、前回の記事は自分が既に意識していることを書いたのですが、今回はこれから意識したいと思っていることを書きます。
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簡単に言うとこれからは「誰かの前で涙を流したら、『泣いてしまってすみません』と謝らないようにしようと思っています。
これは、先日Coming into your ownという女性だけのリトリート合宿に参加した時に、気付き、これから実践しようと思っているので自分の内側の整理を込めて記事にしてみます。
Coming into your own では先日の記事でも書いたとおり、泣く人が多発します。プログラム中に、話しながら泣いている人がいて、その人が泣き終わった後に「I’m sorry」と言ったのです。
そうしたら次の瞬間、ホストの人が凛とした表情で、「Don’t apologize for tear」と伝えてくれました。(※CIYOのプログラムは英語で実施なので、そのまま英語で書いています)
ただ、それだけのやりとりだったのですが、この瞬間、結構な衝撃が走りました。なぜなら私も、誰かの前で涙を流したら大抵の場合謝っていたからです。「泣いちゃってごめんね」とか。ただ、「すみません」とか。
逆に、私自身が誰かに泣かれたという時にも、同じように結構謝られていた気がします。
よくよく考えたら何で泣いたことに謝るんだろう。 ( …と内省モードに…)
人前で泣くことは良くないという思い込みがあるのか?
泣くことを人に受け止めてもらえないのではないかという恐れがあるのか?
どちらもあると思いますが、どちらかというと私は後者が強い気がします。「泣いたら私の扱いに困ってしまうだろう」 「相手が迷惑がってしまったら嫌だ」と泣くことを相手が迷惑と捉えるんじゃないか、とまたしても人を信頼していない自分を発見。
もし、本当に迷惑に捉える人がいたらそんな人とは永遠におさらばすればいいだけ。別に人に泣かれても迷惑だなんて思わないですよね。 私は別の記事でも書いたとおり、理想の関係性は「不安を安心して吐露しあえる関係性」なので、友達に泣かれたらむしろ、「今自分の求めている関係性に近づけている」と安心するくらいです。
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なのに、自分が泣いたら謝るって…私が目指したい関係性を自ら遠ざけている。泣いたら受け止めてもらえないって人を信頼しないの、辞めたいです。
…ってことで、泣いたら謝るの、辞めます。
次回からどこかで涙を流したら、「泣かせてもらってありがとう」「今、隣にいてくれて嬉しいです」と言おうと思う。
そして、誰かに泣かれて謝られたら「 謝らずにそのままでいてくれたほうが嬉しいな」と言おうと思う。
TEDのスピーチで有名なブレネー・ブラウンがスピーチ内で伝えていますが、人は悲しいとか、寂しいとか、ネガティブな感情だけを感じづらくするということは出来ないのです。これは、私も過去に鬱になったことがあるので分かるのですが、鬱になると悲しみを感じる感覚が麻痺するので、喜びも感じられなくなります。
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つまり、何が言いたいかというと泣きたい時には我慢したり、その感情を否定したりせず泣かなきゃいけないってこと。
悲しい時に思い切り悲しめる人が、幸せなときに思い切り幸せを感じることが出来る人です。
自分の周りの大切な人たちと「大きく喜び、そして悲しみも大きく受け止めあえる関係性でいたい。そのために私は「涙を流した時に謝らない」という一歩から始めてみようと思います。
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