今回は自分の肩書きをどう決めますか、という記事です。わたしは自分で勝手に「ファシリテーターです」と言ってるので、「誰かがわたしの肩書き決めて」という人の気持ちがよく分かりません…
私は「自分の感覚を感じて、自分で決める」を大切にしているので、人目や評価を気にしすぎる人や、自分の外側を決断の材料にする人( 社会の評判が、親が、会社が、っていうやつ )のことがよく分かりません。
人のことを気にしすぎる人って私から見ると「なんでこの人そんなに自意識過剰なんだろう(•_•)?」と思います。「安心して!人はあなたのこと気にしてないよ!」と言いたくなる。
でもおそらくこれは、私が自分に集中することを心がけていてあまり人のことを気にしないからであって、人のことが気になる人は、他人に集中してて人を評価・判断して生きているんだと思います。
以前、自分の職業を自分で決められない人について記事を書きましたが、今日は正直、似たような記事です・笑。
まず、↑ の記事と同じようなことを書きますが、自分の肩書きって自分で決めるもんだと思います。
私は長年、プロボノ団体を運営しているのですが、何年も前にメンバーの名刺を作るときに、その人の肩書きを「玄道さん、決めてください」と言われてびっくりしたくらい。 ( うちの団体では肩書きは自由に決めて名乗ってください、としてます。)
そのとき「なんで私に決めて欲しいの?」って聞いたら会社ではそういうもんだから代表の私が決めるのが普通と思ったらしい。
「なんで自分がどう在りたいかを人に決めてもらうの?」と思ったのですが、人が肩書きをつけてあげる = 他人から見てその人にあっていそうなことを与えてあげるということでもあるので、まぁ若いうちはそういうことも必要なのかなと思って何かしらの肩書きをあげた気がします。
以前書いた記事は「職業や肩書きは自分で決めては?」というものでしたが、補足すると肩書きそのものだけではなく「どんな自分でいたいかは自分で決めたら?」ということが言いたかったんです。
会社に勤務していたら確かに組織として名乗らなきゃいけない肩書きって渡されるし、名刺にも書いてある。でもだからと言ってその肩書き=自分、じゃないですよね?
私がその昔、会社から最初に渡された名刺には確か…オペレーターって書いてあってような気がします。( 完全に忘却の彼方にいってしまったので違うかも。新卒で入った会社では旅行のアレンジや海外航空券の販売をしていました。)
でもここで、オペレーターを「海外航空券の販売をする人」と捉える人と「旅行を通じて人の視野や価値観を豊かにしていく人」と捉える人で行動に差が出ますよね?
前者は航空券をどうやって売るかという視点になり、後者は旅行のどんな経験が人の心に響くかを伝えようという視点になるかもしれません。これらの視点を持って日々仕事をする人は、働き方に違いが出ますよね。
対外的な肩書きは決められたものを名乗らなきゃいけない環境でも、自分がどう在るか、どんな自分で生きるかは自分で決められる。「決めたらそうなる」からね、これ、宇宙の法則。
なので私は「どんな自分で在りたいか」をよく妄想してますし、文章化してるし、それを日々思い出す時間を取っています。わざわざその文章を見なくても意識できるくらい、自分に入ると無意識にとる行動が変わるからね。
どう生きたいか、どう在りたいか、セルフイメージを自分で言語化して決め、自分の潜在意識まで落ちるようにして無意識レベルから行動を変えられるようにしている、と書いたらわかりやすいですかね?
私が以前の記事で「ざわざわするけどシステムコーチと名乗っている」と書きましたが、これも同じ理由です。早めに自分自身の在り方をシステムコーチに近づけるために、講座に行き始めて早い段階で名乗り始めたというわけです。
ちなみに、記事を書いた当時はざわざわしながら名乗ってましたが、今では一切違和感なくなりましたし、システムコーチとして収入も得られるようになりました!何故ならそうすると決めたからです。さすが私!
以前、コーチをしている人の集まりに参加した時に「名乗れば誰でもコーチになれるから質を担保できなくて嫌だ」という発言をしている人に何人もあったことがあります。均質化が大切だと捉える人にとっては資格がないのにコーチと名乗られるのは、あまり心地よくないことなのかもしれません。
けれども私は誰かに認められないとコーチと名乗れない人の方がよっぽど問題だと思う。「誰かに言われたから、認められたから、資格を取ったからそうします」ではなく、「私がそうしたいから、こう在りたいから、こう生きたいからそうします」がやっぱり好きなんですね。