私は普段「今、自分がどうしたいと思っているか?」を感じ、そこから行動することを大切にしています。
例えば、何かを買う時も「本当に欲しい?」と自分に問うし、人にプレゼントをするときも「自分が本当にあげたいと思っている?」(見返りを求めて行動してないか)と自分に確認するし、何かセミナーに申し込むときに「本当に、本当に行きたい?」(知ってる人がたくさん行くから、とか「学ばないと!」みたいな意味不明の劣等感で行こうとしてないか)と慎重に自問自答(笑)
自分の行動の基準は基本的に「自分がやりたいかどうか」がすべて。Want to から動くということをものすごーーーく大切にしています。
なので、私は「 察してください(^^)/ 」という人がとても苦手です。
普段ならここで「『察してください』という人は嫌いなんです」と書くところなのですが、私も恋愛だと多少「すみませんが察していただけましたら幸いです (._.) 」という自分が現れるので、「察して」という人は許容できませんレベルではないのです。限りなく許容はしたくないのですが。
他の記事でも書きましたが、「言わなくても分かって欲しい」ってちょっと緩めるべきと思っています。
「察する」とか「空気を読む」とか言いますけど、私は他人のニーズを人が読めると思うなんておこがましいし、無理だと思ってます。
例えば、私が辛くてさっきまで泣いてたとしますよね?そうするとそういう私を”察して”、「大丈夫?」と声をかけてくれたり、「大変だったね…」と共感しようとする人が出てきたりします。
ところが、私は泣きたいときは1人で自分に寄り添って泣くので、その後だとどちらかというと浮上できるような話し合いをしてくれるほうが好きなんですね。(いわゆる女性的な感情への共感を求めるのではなく、男性的な解決に向かうディスカッションをしてくれる方がいい、という意味) でもあまりそれを女性に “察して” もらったことはありません。
相手が私の様子を見て “察した” つもりであっても、それが私のニーズとマッチするかは分からないと思います。状況によっても違うし。
「察しない」(正確には、察しても先読みおせっかい提供しない)ことについて、マイコーチのゆりさんの素晴らしいTweetがあるので、ご紹介します ( ゆりさんのTwitter、神Tweetばかりだからぜひ見てみてください♡) ↓↓
さっと気がついて相手がaskする前に差し出しているとその人は自分が求めるものを欲しいと言わず、周りが気づいてくれないと不平を溜め始める。
不幸のスパイラル。
気づいてもaskされるまで待つというのも愛なのだ。 pic.twitter.com/ChbOpkcEzV— あおそら友里 (@Yurikame55) July 12, 2016
このつぶやき、大好き♡ もうこのTweetみたとき「その通りだーーー!!」ってLikeボタン連発しました。
確かに「察して」相手に行動してもらい、それがたまたま自分の「してほしいこと」だったら楽かもしれません。でもそれだとその人はいつまでもレストランで『私の欲しいものをお願いします』って注文するような人生を送ることになりますよね? (この喩え、よく使いまわされてると思うけど)
だからこそ、「察して」勝手な先回りおせっかいはなるべくしないように心がけています。もちろん、自分の好きな人へ力になりたいという気持ちは持っているので、「どんな助けがあったらいいですか?」と ask してもらえるように聞くことはあります。
また、同じ理由で人を褒めまくるということも私はしないです。
https://twitter.com/yuko_g/status/761711415044427776ごくたまにすごく人を褒めたり、認知しまくったりする人っていますよね?私は他者に認められることよりも自分で自分を認められるようになることのほうが遥かに大切と考えているため、承認しまくるとか絶対しない。
※ ただ、本当にその人が気づいてなさそうな良さに自分が気づいた時や褒めたい!と思った時は褒めますよ。
「私のこと察して」とか「私のこと認めて」 という人は、私にとっては自分を生きることに怠惰な人に映ります。「自分はこうしたい!」 と言葉で伝え、動けることが自分自身を生きることだと思う。
最後に、よく私のブログで説得力の上乗せのために登場する叶姉妹の名言(笑)を載せときます。
何もしない。求めない。協力しない。
一見、最大に不親切であるような姿勢が、
そのじつ、他人に対して最大の親切になりうる場合があると知りましょう。
初めて見た時は「どんなときだろ?」と思ったこの言葉。でも今の私はその最大の不親切であるような姿勢を心に留めて生きています。