[voice icon=”https://yukogendo.com/wp-content/uploads/0024_original.png” name=”げんどうゆうこ” type=”l”]今回は私がプロボノをしていて思うことを書いてみました。プロボノでも仕事でもそうなのですが、自分を「適切に」観て伝える力って本当に大事だと思います。[/voice]
PLASの門田さんの痺れるTweetを見つけたので久々にプロボノの記事。
長年プロボノ団体の運営をして活動しているので、プロボノの採用はたくさん経験のある私です。すぐ辞めちゃうとか、フェードアウトするとか、嫌な感じで辞めちゃうとか(これ、実は1番残念だと思ってます。何かを辞める時ってその人の本質が現れると思ってるので…)数々泣いた経験があり、、正直、これだけでいくつか記事書けるレベルです。
プロボノでお断りするよくあるパターンは、「あまり貢献できないけど、勉強しながら頑張ります」ってパターン。このパターンは絶対ダメ!貢献できるものがないと思うなら、ほぼ役に立たないので、双方にとって不幸となる。謙遜だとしたら、適切に配置されるように、きちんと自己PRしないとダメ。
— もんだるいこ|エイズ孤児支援NGO・PLAS代表 (@RuikoMonda) August 1, 2017
思わず私も反応・笑。
https://twitter.com/yuko_g/status/892412337121935360
「貢献できないけど」とか「お役に立てるかわかりませんけど」ってどう考えてもダメじゃないですか?
団体がその人を採用するメリットはなんなの? と思います。
そういう言葉を使う人って「一応、謙遜しておくんで、私の実力をあなたが見て適切に私の力が活きるように配置してくださいよろしくどうぞ」という態度に見えます。
私は個人事業主なので、自分を発信していかなければ仕事を得られません。このブログで自分の考え、在りようを発信することもそうですが、契約する会社で面談する時には当たり前に自分の出来ること、どう貢献できるかを話せなければ、働けない。
私は「察して」って他人への甘えであるケースが多いと思っている人なので、このケースだと自分でちゃんと自分を見て自己分析をする労力を取らず、代わりにそれを他人に丸投げてるような印象がします。もちろん、自己分析と他者が見た自分って違うこともあるので、入った後に団体側がその人の働きぶりを見て配置転換することはありますよ。
仕事もそうですが、特に普段の自分の働きぶりを知る人がいない団体でのプロボノだからこそ、適切に自分のことを分析して伝える力って必要じゃないでしょうか。私は、以前こちらの記事にも少し書きましたが、遠慮や謙遜は社会のためにならないと考えています。その人が自分の力を小さく見せようとすればするほど、社会の視点から観ると損失でしょ。
生きている限り、思う存分その力を社会に活かしたいと思っています。だからこそ、自分をちゃんと知る。少なくとも、知ろうとする。 プロボノをしようと思ったなら ( =今の会社の外で活動しようと思ったなら) まずは日頃自分が何をしていて、何ができるのか、何が好きなのか、自分を観察するところから始めてください。
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