[voice icon=”https://yukogendo.com/wp-content/uploads/0015_original.png” name=”げんどうゆうこ” type=”l”]今日は新しく企画した対話の場についてのご案内です。死についてもう少し気軽に言葉にできる場があったら良いのになぁと思い、今回始めてみることにしました。[/voice]
先日のブログにも死について言葉にできる場を開きますということを書きました。
Facebook にイベントページを作ったところ、広告をうった訳でもないのに280人以上の方に「関心あり」ボタンを押していただきました。( 私と、同じく主催の薫さんがお互いのFBで紹介したくらいだと思うんですが、皆さん、どこから見つけてくれたんでしょうか。いずれにしても、関心を寄せていただきありがとうございます。)
今回は、私がなぜ死の対話をやろうと思ったのかについて書いてみます。
元々、私は父親が10年前に亡くなっているので、同じ年代の人たちよりは、死を体感を伴って身近に感じている方なのではないかと思います。「親がいずれ死ぬ」「身近な人との別れが来る」という事実をきちんと受け止めて生きている、と表現したらより分かりやすいかもしれません。
親が生きている人生と、生きていない人生。それは、はっきり言って次元が違う人生です。少なくとも私にとっては、違いました。
社会人になってから、一人暮らしをしていたし、経済的に援助してもらっていたわけではないのですが、それでも「何かあっても最後は父親が守ってくれる」と潜在意識の深くにあったことに、父が亡くなってから気づいたし、自分の行動は「親が何と思うだろうか」をわずかながら気にしていたのだということも分かりました。
どちらも顕在意識ではっきり認識していたことではないので、物理的に傍にいないという事実が、自分の深くに潜んでいた想いを浮き上がらせた、という感じ。
潜在意識の深くで頼っていたことが無くなるということは「もう本当にこれからの人生、自分がすべて責任をとる人生なのだとある種の覚悟が湧かざるを得なくなりました。もちろん、就職するときにも同じように思っていたはずなんだけど、それは主体的に「覚悟を持つぞ」と決めたことで、父が亡くなることはそれにダメ押しされるというか、、、受動的に覚悟を、再度突きつけられるような、そんな体験でした。
それからの人生、全てにおいて「自分はどうしたいのか」によりこだわるようになったし、明日死ぬかもしれない、という体感が、やらない言い訳をする時間を自分から奪いました。私はプロボノ団体を立ち上げたのは、24歳の頃ですが、これも「経験を積んでから〜うんたらかんたら」とか言うのってムダと思ったからです(だっていつ死ぬか分からないし)。
27歳の時に独立しましたが「上手くいくか分からないし〜」という思考の声と遊んでるのもムダだと思っていたので(だっていつ死ぬか分からないし)、どうすれば出来そうかだけを考えて行動しました。
経済的に自立できるよう、そして何かあったときには家族を守れるようコンサル業界に入って独立できるまでは踏ん張ったし、家族や友人と過ごす時間をより大切に慈しむようになり、目の前の相手が残りの命という時間を共に過ごしたい人かどうかもよく考えるようになりました。
私、仕事は好きですしかつては無茶苦茶働く人だったんですけど、今はゆとりを持って働く派。仕事にかまけて親が亡くなるときに後悔する人生は嫌なんです。だって仕事は人生を豊かにするためにあるんだから。
「終わり」があるという事実を直視せざるを得ないことで、今というかけがえのない時間をどう生きるかを一瞬、一瞬手を抜かず生きることにつながっていったのです。
書いていて気づいたのですが、私がパーソナルコーチングにあまり心惹かれないのはこういう経験からかもしれません。( パーソナルコーチングって何か、こう、、「今更そんなこと聞くの?」ってインパクトなんですよね、、私にとっては。。)
たまに「げんちゃんはどうしてそんななんですか?」という意味不明な質問をされることがあるのですが、これを「今のあなたを形作ったのに、何が影響しているのですか?」だと捉えると、その1つには親が早くに亡くなった、という環境要因があると思っています。
まぁ、そんな感じで生きているのが自分にとっては普通だったので、死を意識して今を生きることについて、どうとも思っていませんでした。
ただ、ここ1年半毎月円坐や、他の非構成の場(話題や進め方などが主催者から提示されない場)に出てみて、幾度となく死の話題が出ることや、死の話題について言葉にしたときに、なぜか場のエネルギーが高まる印象があり、死にスポットをあてて場を開いてみたくなったのです。
「自分は死とともにあるのは当たり前と思っていたけど、もしかして他の人はもっと話してみたいと言う関心があるのかも⁈」と。
今回、そう考えて開く場をご一緒してくれるのは私の敬愛するファシリテーターの佐々木薫さんです。
薫さんはドラムサークルを日本に持ってきたり、プロフェッショナル・ファシリテーター—どんな修羅場も切り抜ける6つの流儀の翻訳をしていたり(他も著者、翻訳多数)、様々な分野でプロレベルの実力を持つ、まさにエルダーとしての存在感がある方。
数年前から「いつか薫さんとご一緒出来たら… (._.) 」とモジモジしてたのですが、「私に実力がついたら声かけよう」などと悠長なこと言ってると今世じゃ間に合わないと思ったので、さっさと告白(笑)。あと、薫さんは昨年、母親を見送っているのですが、そのプロセスに真摯に向き合ったことで「もう今世のミッションは大達成しました(^^)/ 」とおっしゃっていて、、、私がモジモジしてる内にうっかり宇宙に帰られても困っちゃうので、何としても地球に引き止めようと今回ご一緒させていただくことにしました。
冗談はさておき、そんな、自他共に認める死のプロ(?)でもある、薫さんと始める「死の対話」 今回はご一緒させていただく初めての回で、私たちも手探りで進めているため、薫さんのストーリーテリングを聴きながらお互いに話したいことを話す、というゆるやかなプロセスにしたいと思います。なんかすごいワークやるとか思ってる人がいるみたいなんですが…やりません。。。
死について言葉にする場ってどんなだろう?と気になってしまった方、1月31日の夜に、新宿でお待ちしております。 イベントページはこちらから。