弱音を吐くのは前向き?後ろ向き? 本当に安心感のある関係性とは、否定も、怒りも、弱さもありな関係性だと思う。

[voice icon=”https://yukogendo.com/wp-content/uploads/0024_original.png” name=”げんどうゆうこ” type=”l”]今日は弱音を吐くことについて。私は弱音を吐くってその人が頑張りたい気持ちがなければ出てこない言葉なので、良いことだと思うんですよね。でも弱音をプラスに捉えない人もいる。そういう人とは、ちょっと付き合いづらいなぁという話です。[/voice]

 

突然ですが、人に弱音を吐かれたらどう思いますか?

 

 

 

 

「嫌だな〜、後ろ向きな話して」と捉えるでしょうか。

 

 

 

 

それとも

 

 

 

 

「大変だな〜、何とかしたくて頑張ってるんだな、この人」と捉えるでしょうか。

 

 

 

 

 

言葉の捉え方にはその人の在り方が出ます。どう捉えようとその人の自由ですが、弱音を後ろ向きに捉える人に対しては、コミュニケーションが取りづらい人という印象を持ちます。

 

より正確に表現すると、誰かの言葉を「弱音」「愚痴」と捉える人とはコミュニケーション取れる範囲が狭いなと感じます。

 

 

なぜなら人の言葉で私が、「この人弱音や愚痴を言ってるな」と捉えることってほぼないので。。。最近、話している最中に「弱音言っちゃってすみません」って言われて「え?今までの話、弱音だったの?」って思ったくらい。ただ本人にとって大切なことを話してるとしか捉えなかったから。

 

 

逆もそうで、私は、自分の言葉を「最近、よく愚痴を言ってるね」などと捉えられたら、結構傷つきます。私はただ、今の自分にとって大切なこと、切実なことを話していると思っているので。(人の捉え方は変えられないので、その捉え方も別にどうぞ、ではあるんですが)

 

 

 

私は「在りのままの自分自身を受け止め合える関係性」を大切にしたいと思っているので、よく他の記事でも書いてますが、その人にとってポジティブもネガティブも聴き合える関係が、安心感が高い関係性だと考えているんです。自分が主催をする場も、なるべくホールネス(全体性、つまりポジティブもネガティブも)を扱うことを大切にしています。

 

例えば、「いつも笑顔で!」よりも「いつでも泣いてOK」の方が、「否定NG」よりも「建設的な議論のためなら否定OK」という場や関係の方が居心地いい。(ちょっと逸れるけど、そもそも違う意見言っただけで、勝手に否定と捉える人だっているんだから、よくあるブレストのルールって「違う意見を否定と捉えない」とでもしてくれた方がよっぽど安心感高まると思っています。)

 

 

悲しくなっても泣けないとか、腹がたってもそのエネルギーを圧し殺さないといけないとか、辛いことや弱さを発露出来ない場や関係って苦しくてしょうがない。

 

 

「怒っちゃだめ」だの、「泣いたらだめ」だのってただ単に、聞き手が「私、怒りや悲しみは扱えません」って言ってるように私には聞こえます。なので、人の言葉を弱音とか愚痴とか、いわゆる「後ろむき」捉える人って、相手の言葉を自分が扱うことが「後ろ向き」なんだと思う。( なるべくそう言う人には相談しないようにしてるけど )

 

人に対して扱える感情の範囲が広ければ広い程、私にとっては安心感・信頼感のおける関係です。人に対して扱える、と言うことはつまり自分に対してもと言う意味なんだけど。(自分の悲しみを大切に出来ないのに、人の悲しみは大切に出来るってありえないからね。)

 

 

だから私は、全ての感情を自分に許している人が好き。そう言う人こそ、人に対して「否定も、怒りも、弱さ」も全てOKと言う関係が築けると思うからです。

 

 

昨日、春くらいにやろうと思っている女性だけの対話の場の打ち合わせをしていて、相手の子が「弱音を安心して言える場にしたい」ということを言っていたので、今日はこんなことを考えてみました。

 

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対話ができる関係性・チームを築くために ワークショップデザイン × ファシリテーション でサポートする人。 プロフィール

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