今日は寺で座禅をしてきました。
定期的に開催している円座もそうですが、私はやっぱり静寂の時間を持つことが大好きです。
ふと坐禅中に私が好きな言葉が浮かんできたので、残しておきたくブログに書いてみます。私のブログで何度も紹介している方のTweet。このつぶやき大好き。
ひとを失う悲しみとは、そのひとと再び会えなくなるさみしさだけではなく、そのひとの前でしか出てくることのなかった自分自身と、もう、二度と会えなくなってしまうことだと思う。何かを喪失する悲しみとは、多分、自分を喪失する悲しみだ。 pic.twitter.com/PazmoKOz1E
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) April 10, 2016
※今日のブログのタイトルはこのつぶやきを見てパクリました(笑) ごめんなさい。
休日などにふっ時間ができてぼーっとしていると「あ、久しぶりにあの人に会いたいなぁ」という気持ちになることがあります。いや、久しぶりじゃなくて「先週も会ったけど、来週もまた会って話がしたい」と思う人だっています。(別に恋人とかじゃなくても)
先ほどの言葉に出会ってから、何度となく話したくなる、そして会いたくなる人が現れたときにはその人と会っている時の自分ってどんな自分だったかなぁと思い出すようになりました。
その人といるときの自分の気持ちとか、話していることや過ごすときの雰囲気や一緒にいる時の自分の心の変化とか。
そして「この人の前で出てくる自分のことを私は大好きなんだ」とその人の前で現れる自分のことを認める。そうすると急に目の前の人のことがより大切に思えてきたりします。
関係性は相手と自分との数だけ存在します。なので、目の前にいる人の前で現れる自分というのは本当にその人の前でしか出てこない自分なのかもしれません。
今日は何だかそんなことを考えてしまう、素敵な休日でした。