対話と話し合いはどう違う? 私なりのに対話とは何かについて話してみる

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今日は「対話とは何か?」についての記事です。私は仕事について聞かれたら「集団の対話をサポートする仕事をしています」と答えています。自分なりに対話について言語化したことがなかったので、今回、まとめてみました。

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対話とは … お互いの「なぜ、そう思うのか?」を聞き合うこと

私は誰かに「対話って何ですか?」と聞かれたら、「お互いの『なぜ、そう思うのか?』と聞きあうことです」と答えています。そして、 「相手の言葉の裏にある、その人なりの意味や気持ちを共有することですね」と言葉を添えます。

対話について書かれた本はいくつかありますし、おそらく対話という言葉を使っている人にはそれぞれの定義があると思います。私は「お互いが大切にしていることを共有し合い、違いを知ること、そして自分のことも知っていくこと」だと捉えています。

「なぜ、そう思うの?」とその言葉の出どころを問いかけていくと、自然と人は、言葉の根源というか、その人が大切にしたいことにたどり着く。だから、対話という言葉に馴染みがない人に「対話ってなんですか?」と聞かれたら、第一声は「お互いのなぜ、そう思うの?を聞きあうことです」から私は始めています。

皆さんも、自分の言葉を他の人が「全く違う意味合いに捉えていた」という経験が1度はあるのではないでしょうか。普段の会話では「内容のやりとり」はしていますが、「その裏にある意図」や「その人が込めている意味、想い」をわざわざ話することは少ないかもしれません。

この図で言うところの、下の部分を少しずつ言葉にしてみよう、ということ。発言に到るまでの「プロセス」をもう少し聴き合いましょうということです。

対話と会話はどう違う?

例えば、「会社じゃなくて、家で働ける方がいいなぁ」という発言をしたとして、相手が「そうだよね、私もそう思う」というようなやりとりがあったとします。こういう「会話」は日常生活に溢れていると思いますが、この時相手と分かりあったようで、全く分かり合えていないということが起きています。

私が「なぜ、家で働ける方がいいのか?」と聞かれたら、それは「私はフリーランスなので自由に働きたいから」と答えます。更に「なぜ自由に働きたいのか?」と聞かれたら「私にとって『自己選択』できることが幸せだから」と答えます。

相手にも同じ質問をしてみた時に、「 私は子どもがいるから、家でも働ける方がいいと思ってる」と答えたとします。更に、「どうして子どもがいるのに家で働きたいの?」と聞いたら、「些細な成長も、変化も見守るチャンスがある方が嬉しいから」と答えるかもしれません。

この、それぞれ3つ目の言葉を聞きあえている方が「お互いを知っている」実感がありませんか。私は自己決定を大切にしている人であり、相手は見守ることを大切にしている人というような、その人ならではの物の見方、選択の基準、その人から見えた世界を聞く。それが対話です。

ここに挙げたのは、分かりやすく伝えるためにかなり端折って書いていますが (そもそも、結構しっかり内省している人じゃないと、すらっと自分の大切にしていることを言語化出来ません) 、「家で働ける方がいいなぁ」という言葉を発するに至ったプロセスを聞きあっていることが分かると思います。

言葉の裏にある意図や想いこそ、より「その人そのもの」に近いもの。だから、対話をすることは自分のことも、相手のことも、もう一歩深く知ることにつながるのです。

何のために行うのもの?

対話は一体、何のために行うものでしょうか。一般的には、「相互理解のため」とか「アイデアの双発のため」を目的にしている場が多いと思います。

ここで、デヴィッド・ボーム著者のダイアローグという本の文章を引用しますが、この本では

「対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それを見ることなのである」

と書かれています。この本では「対話とは?」について70ページに渡って書かれているのですが、繰り返し出てくる表現が意味を共有する」ということ

  • 情報やアイデアではなく「意味」を共有。
  • 明確な「目的」を定めなくてもいい。
  • 人を「説得」することは必要ない。
  • あらゆる「想定」を保留することが重要。

会話に目的はないのと同じように、対話そのものは目的がないも。でも、本人の言葉の根っこを共有しあっていると、自然とそれが相互のつながりや理解になり、お互いを尊重し合うための新たなアイデアが生まれたりということが従属的かつ偶発的に起きえます。

この従属的かつ偶発的に生まれるつながりやアイデアなどの「言葉を交わす前までは想定していなかったもの」が生み出されることを体感すると、対話はすごく楽しくなっていきます。

例えば、会社で自社を働きがいのある会社にするために、取り入れたい制度の検討をする打ち合わせがあったとします。 先ほどの「会社じゃなくて、家で働ける方がいいなぁ」「そうだよね、私もそう思う」という会話をしていたとすると、「じゃあリモートワークを取り入れよう」という流れになるかもしれません。

でも、「自己決定できることを幸せに感じる」ということや「子どもの成長を見守ることを大切にしている」ということを聞きあえている人同士が言葉をかわしたら、それは「祝日を自由に選べる制度」になるかもしれないし、「子どもを交代で面倒見ながら皆で一緒に働ける日」を作ることになるかもしれない。

お互いについて聞きあえている度合いが、深いほど可能性も選択肢も広がるし、結論も自分に近くなるということです。うまい例が書けている気がしないのですが、伝わったでしょうか。

対話をするために必要なことは自分を「保留」すること

対話をするときに大切なことは、自分なりの物事の捉え方や感じ方を一旦、脇に置いて相手の言葉を聞くこと。

私たちは普段、「その場で起きた事実」や「話していること」を自分の価値観や解釈を通して見ていますし、聞いていますし、話しています。相手の「なぜ、そう思っているの?」の真意を聞くためには自分の「こうあるべき」は意図的にそっとしておく。  対話に慣れている人、というのはこの「自分の視点の保留がうまい人」と言えます。

自分とあまりにも「違う」意見の中には自分にとって耳障りの良くないこともある。例えば、私は悩むに時間をかけ過ぎず、行動することを大切にするという価値観の持ち主なので、「言ってるだけで行動しない人」が苦手です。

そこで、人から「会社を辞めたいんだけど、決断できなくてうんたらかんたら…」という話を聞くと「結局辞めないんだろうから、文句言わず今いるところで成果出せるようちょっとは考えろ〜」という頭の中でおしゃべりが始まります。

この頭の中のおしゃべりをそのままにしていると、「どうせ行動しないんでしょ」という私の価値観を全面的に押し付けたまま話を聞き続けることになる。でも、行動するかしないかは少なくとも話を聞いているその時点では誰にも分からないはず。

「きっとこうだろう」「どうせこうに違いない」という経験からくる思い込みにパッと気づいて、なるべくそれを押しのけて純粋に話を聞いてみる。「会社を辞めたいんだけど〜」という発言の奥にあるものは何かに耳をすませてみる

それが「意味を共有すること」であり、対話するときに意識したいことですね。

終わりに -おすすめの本-

ここまでが、私なりに対話とは?をお伝えさせていただきました。なるべく「対話」という言葉に馴染みがない人に読んでもらえたらと思って書いたので、もっと探求している人が読むと短絡的に書いているように見えるかもしれません。

でも、私は伝えたいことがあるなら、難しいことをそのまま正しく伝えることが伝わる方法だと思っていません。「自分なりに言葉を砕くとこんな感じ、あなたも一緒にやってみない?」という方がずっと楽しいし、優しいことだと思っています。

本文の中でも触れましたが、対話について最も丁寧に書かれた本だと思います。対話とはと70ページに渡って書かれているので、より関心がある人はぜひご一読ください。

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対話ができる関係性・チームを築くために ワークショップデザイン × ファシリテーション でサポートする人。 プロフィール

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