[voice icon=”https://yukogendo.com/wp-content/uploads/0024_original.png” name=”げんどうゆうこ” type=”l”]2017年も毎月開催した寝待月の円坐。今年最後の場が終わりました。先日の円坐でふと、「なぜ自分がファシリテーターなのか」について言葉にする時間があったので、今日はそのことを書いてみます。[/voice]
先日の19日に毎月1度開催している寝待月の円坐を開催しました。今月で今年の円坐は全て終わり。 Ordinary Worldの中尾聡さんと開催しているのですが、続けてきて1年半。
人の話を「聞く」と言うことに関心があり、探求したい私たちなので今のところ飽きる要素が見えません笑。 今年も寝待月の円坐に参加してくださった方、関心を寄せてくださった方、ひっそりと応援してくれて方、本当にありがとうございました。
円坐で言葉にされることは本当に一期一会のその場限りなのですが、先日の円坐の中で、ふと私はどんなモチベーションでファシリテーターをやっているのかに想いを馳せる時間があり、そこで考えたことをちょっとだけ言葉にして書き残しておきたいので今日のブログを書いています。
先日の円坐で話を聞いていてふと「私が今、ファシリテーターという生き方をしているのは、今の家族と生きてきたからかな」と思うシーンがありました。(別にそういう話をしていたのではなく、私が勝手に他の人の話を聞いて、その瞬間に湧き上がっただけなのですが)それまでも、自分なりの理由は持っていたはずなんですが、人の話を聴きながらふとその瞬間に「私がファシリテーターなのは妹と生きてきたからかもしれない」と感じたんです。
私は、度々ブログでも書いていますが3人姉妹の長女で、2人の妹とは本当に感情的に何度もぶつかる経験をしてきました。私も感情的な人間で、腹が立ったらそのエネルギーを人にぶつけますが、妹2人も更に輪をかけて感情的ですし、何なら父も母も感情的な人間です。
どれだけ腹が立って切れても、大泣きしても、明日からも変わらず傍にいてくれる人がいる。それはありのままの自分が丸ごと受け入れられる経験で、私は育った家族との関係のように、そんなありのままの自分で受け止め合える関係性の中で生きていきたいという気持ちを深い部分で持っている、そう気づきました。これまでも常々「私は、深い関係性の中で生きていきたい」という言葉はいろんなところで使っていたのですが、なぜそう思っていたのかをもう一歩深く捉えた感じです。
私は、幼少の頃から友達も少ない方(少ない友人と深く付き合いたがる) で、1人で行動するのが比較的好きな子だったのですが、それは家族がどんな自分であっても愛してくれるという実感があったから、1人でも大丈夫、そう自分の深い部分が捉えていたからだと思っています。
なので、私は「ありのままの自分で受け止め合える」関係性が家族以外の人とも作れるはず、そう信じたいし、そんな世界に生きていきたい。だから今、ファシリテーターという生き方、少し言い換えるなら人の関係性に触れる仕事をしているんだなと思ったのです。
最近、オブラート1枚も包まない私の言葉を、ある人に直球で受け取ってもらうという経験をしたのですが、それはまるで「あなたはそのまま生きていてOKだよ」と語らずして伝えてもらった体験で、とても自分が承認される、心が満たされる経験でした。
「聞く」ことにはものすごい力がある。
2011年に西村よしあきさんが主催していたインタビューのワークショップに参加した日から、ずっとそう信じてきたけれど、(余談ですが、円坐を一緒に主催している中尾聡さんは、このワークショップのつながりで出会いました。) ますますそれを信じられそうです。
私は、自分の全てを「きいて」くれる人がたった1人でも入れば、人は結構軽やかに生きていけるんじゃないかなと思っています。
だから私は、大切な人のことを「きける」私で在りたいです。
来年も寝待月の円坐をよろしくお願いいたします。