[voice icon=”https://yukogendo.com/wp-content/uploads/0081_xlarge.png” name=”げんどうゆうこ” type=”l”]今回は自分の仕事をどんな風に捉えていますか、という記事です。わたしは仕事自体は誰でもできると思っています。誰でもできる仕事を自分ならどうするか?を探求している感じ。皆さんはどうですか。[/voice]
ここのところブログにもセミナーの開催レポートを書いていましたが、自分にとって最高に楽しい仕事が続いていました。私にとって仕事は好きな人と過ごすための手段だし、1人ではできないことを皆の力で形にすることは私にとってとてつもない喜びです。
ふと先日、Facebookを見ていたら「自分がやっていることを他の人ができるようになったら自分の仕事がなくなるから困る」というような表現を目にしました。なるほど〜。そんな風に捉える人がいるんですね。
そういう発想の人って自分がいない仕事をしている人なんだと思います。その人自身の信念や価値観が反映されている仕事は決して替えがきかないから。
私がやっているシステムコーチング自体は、できる人が他にもいると思いますが、私と同じセッションができる人はいないです。私がやる研修のコンテンツを渡せば、他の人もできると思いますが、私と同じ場は決して作れません。なぜならそれは、私が場を開くときには私が大切にしていることが自然に反映されるから。
場づくりをするときに大切にしていることはいくつかありますが、その1つは「ホールネスを扱うこと」つまりどんな感情も受容することを大切にしています。なので、ポジティブな感情と同様、ネガティブな感情も同じように扱う傾向があります。
あとはこのブログでは常々書いているのですが「自分のため」を大切にしているので、自分がいない発言をする参加者に対しては、より「その人自身」の発言を引き出すよう関わる傾向もありますね。
つまり、どんなセッションも私がどんな人で、何を信じているかが透けてみえる場だと思うし、そうでなければ私がやる意味がない。 なので、私は参加者として対話の場に行くことも多いのですが、場を開く人、その人自身が感じられない場はつまらないと思う。
私が昔から大好きな本の1つに西村佳哲さんが書いた自分の仕事をつくるという本があります。この本の序章が猛烈に好きなので、ちょっとここで紹介させてください。( 短く紹介するために抜粋します )
例えば安売りの家具屋の店頭に並ぶカラーボックス。化粧板の仕上げは側面だけで、裏面はベニア貼りの彼らは「裏は見えないからいいでしょ?」を語ることもなく語っている。建売住宅の扉は、開け閉めのたびに薄い音を立てながらそれを作った人たちの「こんなもんでいいでしょ?」と言う腹の中を伝える。
一方で、丁寧に時間と心がかけられた仕事がある。素材の旨みを引き出そうと手間を惜しまず作られる料理、表には見えない細部にまで手の入った工芸品。一流のスポーツ選手による素晴らしいプレイに「こんなもんで」という力の出し惜しみはない。
このような仕事に触れるとき、私たちは嬉しそうな表情をする。なぜ嬉しいのだろう。
人間は「あなたは大切な存在で、生きている価値があるというメッセージを常に探し求めている生き物だと思う。そしてそれが足りなくなるとどんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。
「こんなものでいい」と思いながら作られたものは、それを手にする人の存在を否定する。人々が自分の仕事をとおして自分たち自身を傷つけ、目に見えないボディーブローを効かせ合うような悪循環が長く続いているような気がしてならない。
しかし、結果としての仕事に働き方の内実が含まれるなら、「働き方」が変わることから世界が変わる可能性もあるのではないか。この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所にではなく、実は一人一人の手元にある。
ここまで。
どうでしょうか。私が20代の頃から何度も読み返している大好きな文章。文章も「その人がいる」文章と「誰もいない」文章がある気がします。 画一的で誰もいない文章を読むのはつまらないし、あたたかく相手の存在を感じられる文章を読むことは元気が出る。
何が言いたいかというと、あなたが行う仕事はあなたしかできないものだということ。その仕事、どんな風にあなたの気持ちが込められているでしょうか。どんな風にあなたの大切にしたいことが表れていますか。
替えのきく仕事など1つもないのです。もしそう感じるならあなたが「自分のいない」仕事をしているだけ。
この世界を変える方法はどこか余所にではなく、きっと一人一人の手元にあるのです。
この本、昔から至るところで紹介しています。本屋で序章だけでも読んで〜!