「何を話してもいい」場だと何を話す? 寝待月の円坐、3年目に突入です。

げんどうゆうこ
今回は、毎月開催している寝待月の円坐のご案内です。毎月1回、開催を続けてついに3年目に突入しました!リピートして来てくださる方もいますし、毎回「はじめまして」の方もいらっしゃいます。

 

今回はこのブログでもしつこくご案内している円坐のご紹介です。円坐とは通常のワークショップや対話の場と異なり、テーマや進め方などを主催者が進行しない、非構成の場です。

 

構成
「今日はこのテーマで話し合いをしましょう」「ペアになって話をしてください」というように進め方が決まっている場のこと

非構成
話すテーマも進め方も何も指示しない場のこと。構成がないと意味ですね。*休憩をとるなど、時間だけは区切ります。

 

わたしの主催する場の写真、こんなのばっかりなのですが笑、円坐はこのように和室に円になって坐って(すわって)、「では始めます」というように簡単に言葉を話してからスタートします。自己紹介もしないので、スタートする段階では名前も分からない人がいたりします笑。

 

 

毎回毎回、起きることが違うので何が起きますとかこんなことが得られますとか、一切書けないのですが円坐は「不確実性を楽しめる人」「無駄(に見えること)に価値を見いだせる人」にとっては非常に面白い場だと思います。

 

前回の参加者のかたが、構成のワークショップでは「外発的な動機」で動くこともできる (=ファシリテーターの人が「共有をお願いします」と言ったから話出すことができる、など) が、円坐ではそういうのが無いので「内発的な動機」で動くしかない、と表現されていて「まさに!」と思いました。

 

優等生的に、人の言うことを聞いて生きてきた人は、円坐のように「ご自由に」とか「好きに過ごして」と言われてもどういうのが自分の「好きに過ごす」なのか、分からないのかもしれません。でもそういう人ほど円坐のように「内発を探る場」はハマるように思えます。

 

 

話してもいいし、話さなくてもいい、自由に過ごして良いので、今、話している内容がつまらないなと思ったら参加しなくてもいいし、極論寝てたってOK。つまらないなと思ったら、そこであなた自身はどうするでしょうか。誰かになんとかしてもらおうとするでしょうか。それとも自分にとってつまらなくない時間にするために、自分から言葉を発しますか。

 

わたしは、むかし円坐に「参加者」として参加していた時にあまりにも沈黙が続きすぎてつまらなくなってきたことがあるのですが、その時に「つまらない状況をどうにもできない自分」でその場にいたことに結構愕然としました。 そんな些細なことをどうにもできない自分で、残りの人生生きていくのは嫌だなぁと。

 

本当は、円坐の場でなくても人は自由にしていいし、好きに過ごしていいんですけどね。あえて集中的に「内発から動く」時間を過ごしてみると、それ以外での過ごし方も変わってくるかもしれません。毎月続けているので「今月は行きます!」とか「今日はたまたま残業なかったのできました」など、フラッと気軽に来ていただける方も増えてきました。

 

 

何度目かの方も、「はじめてで、どんな時間なのか気になる!」という方も。ぜひお越しください。

寝待月の円坐 7〜9月の日程はこちらです。
 

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開催イベントご案内


月に1度の「非構成の場」 寝待月の円坐
次回は9月27日(木) 19:00〜22:00です。
Ordinary worldの中尾聡志さんと共催


「死の対話」 〜死を見つめることは、生を見つめること〜
次回は10月10日(水) 19:00〜21:30です。
INTEGの佐々木薫さんと共催


はじめての方もぜひ、お気軽にご参加ください。
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