[voice icon=”https://yukogendo.com/wp-content/uploads/0081_xlarge.png” name=”げんどうゆうこ” type=”l”]今日は先日の円坐の時間で話したこと、そこから考えてみたことを書いてみました。私の亡くなった父のことについてです。[/voice]
先日の27日に月に一度開催している寝待月の円坐を開催しました。 円坐は目的がないので、何を話してもいいし、何も話さなくてもいい、そんな時間です。
その時は、たまたまお葬式の話をしていたのですが、そこで思い返してみたことについて今日は書いてみます。(私は円坐で話を聞きながら内省が進むことがよくあり、その中で忘れていた自分の過去の捉え直しが出来たり、自分の中にあった言葉が、口の外に出てきたり。そんなことがよくあります。)
別の記事でも父が亡くなったことは書いているのですが、その時の記事でも書いた通り、生前父と私の関係は、お世辞にも良いとは言えませんでした。 父はとても厳しい人だったので、父の風貌に似ている男性は潜在的に避けていたくらい。( 気づかなかったのですが、父が亡くなるまで、父のように背の高い男性とお付き合いしたり、仕事でパートナーシップを組むということが無かったです… )
父との関係は、父の死後、自分なりに色々内省したり、想い出を捉え直したりして良くなったと思い込んでいたのですが、そもそも何でそんなことをしようと私は思ったのでしょうか。
ここが、先日の円坐で思い出したところなのですが、実は父との関係を見直すことになったのは、死後父が自分が死ぬ時のために書いたノートを読んだから、なんですね。
そのノートには、自分が亡くなった後、こんな風にして欲しいということが書かれており、確か、自分のお通夜に来た人にあなたたちのおかげでこんな時間が過ごせたこととか、感謝を伝えて欲しいと書かれていました。
また、私たち三姉妹が通った学校、自分がこれまでお世話になった病院や、お付き合いのあったお寺などにいくらずつ寄付をするように、と書かれてあり、この文章を見たことが私が「自分がとても愛されて育った」ことを深い部分から受け入れるきっかけになったと思っています。
別に、ドラマで良くあるような、私宛の感動的なメッセージが綴られていた訳でも無く、ただ、「この学校に必ず寄付をしてください」と書かれていただけ。
それでも、私たちを育ててくれた環境にお礼をしてこの世を去るという姿勢に、父親なりの愛情を感じましたし、そんな風にこれまでもきっと愛情をかけられて育てられたのだろうという、父がしてくれたはずの直接的ではない愛情に目を向けるきっかけとなりました。
父は自分が頑固だった分、さらに頑固な私に対して、何も言わなかったし、「そのままの私でいさせてくれる尊重」(つまり、頑固なままいさせてくれた) をしてくれました。 私、人間関係のトラブルの原因の多くは余計なお世話、勝手な善意の押し付けなどの「過干渉」だと考えているのですが、何もしないという尊重ができる人は、実は多くないということに年齢を重ねて、ようやく気づけるようになりました。
何もしないというのは、その人自身に健全な自己肯定感と、相手を完全に信頼する気持ちがないと出来ないことだからです。心配からアレコレ関わるのって、無言の「あなたを信頼していません」だからね。
そのノートに、私たち宛のメッセージが「書かれていない」ことすら、父親なりの尊重だと受け取りました。(書く時間自体はあったはずなので) 既に娘は自分たちの人生を生きており、もう自分が何か口を挟むこともないだろう、この先の時間を共に過ごすことが出来ない人が何かを語るよりも、語らずにそのまま娘が生きることを選ぶ、というような。
私が社会人になってから数年で亡くなってしまい、ついには仕事に関して一度も言葉を交わすことも無くお別れしてしまいました。今でも仕事に悩んだ時に「いま、父なら私に何と言うだろうか」と頭を過ぎることがあります。でも毎回思い過ぎる度に「ゆうこのやりたいようにやりなさい」ときっと答えるだろう、と父がくれた「そのままの自分でいさせる尊重」を自分にあげるようにしています。
こうして私は、父の「死のノート」を読んだことから父との関係に思い巡らせる時間を過ごすこととなり、父との関係は死後ガラリと変わりました。(繰り返しますが、生前は別に仲良くなかったからね)
親に愛されてる(またはいた)ことを受け入れることが出来ると、誰にどう思われることも怖くなくなりましたし、人目を気にして隠していた自分を露わにすることも、こうして自分の気持ちや想いを綴ったり発信したりすることも臆することなく出来るようになりました。だって私はどんな自分であってもどうせ「父に愛されているから」です。
私は、まだもう少し生きる予定なのでノートは書いていないのですが、自分の死期が近づいているなと思ったら、死の準備をするノートを書こうと思います。そしてそのノートには自分や周りの人がお世話になった場所を書き、「必ず寄付をしてください」と言う言葉を添えようと決めています。