(開催レポート) 寝待月の円坐 〜私が円坐に心惹かれる理由〜

9月30日(金) 再び Ordinary world のさとしさんと円坐を開催してきました。

円坐とは…?
そこに集った方たちと円になって坐り、言葉になることがあれば言葉にし、したくなければしない。あらかじめ決まった内容や話すテーマや目的がない非構成の場です。

 

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こんな感じの和室で座布団を円にして行います。

私が開く円坐は平日夜なので、1回に3時間弱行います。3時間弱の中で話される言葉は少ないことが多いし、沈黙が1時間とか続くこともあります。私が円坐に心惹かれる理由はいくつかあるのですが、その内の1つが、「皆で静寂を味わうことが好きだから」です。

 

フランス映画の美しき緑の星という映画があるのですが、(人々に大きな目覚めを促す映画ということでネットで話題になった映画ですね。 ) その映画の最後の方のシーンで、地球よりずっと文明が進んだ星の住民が静寂の集会を行なうシーンがあるのですが、円坐を行っているときにそのシーンが心に浮かぶことがよくあります。あぁいう自然の中での円坐もぜひやってみたいな。

 

円坐は始まりと終わりの時間が決まっているだけなので、守人である私達も、極論「それでは始めます」「時間になったので終わります」と告げるくらい。何していてもその場にいていいし、何しなくてもその場にいていい。だから、たくさん話しをしていても良いはずなんだけど、なぜか始まりを告げるとすっと空気が代わって、ゆっくり沈黙の時間に入っていくことが多い。

 

円坐は別に黙っていなければいけない場ではないし、話をすることももちろんあるので円坐=沈黙を味わう場だと捉えてほしくないのですが、毎回この沈黙が訪れる度に、目的も意図も打算もなく、ただ居るから居ていいという心地いい安心感に包まれます。

 

何か話さないといけない、しなきゃいけない、目的に沿ってるか気にすることもなく、居るだけでいい。在るだけでいい。本来人は存在だけで尊いもの、という言葉がじんわり体感できるような感覚があるのです。私は、「沈黙が心地良い関係性」が好きなので (なので、一緒に安心して黙っていられない人は苦手)この時間がとても好き。

 

円坐は沈黙で過ごす時間もありますが、もちろん話をすることもあります。寝待月 = 寝て待つくらい空にあがるのが遅い月、だそうですが、円坐で話される言葉もそれくらいゆっくり自分を探って語られることが多く、円坐で語られたことって自分の内面の大切な気付きになったり、そこから自分の扱い方を知ることも多いです。(この日は制限と自由について、自分なりの言葉になったものがありました。)

次回は10月28日(金) 19時~21時45分で開催します。円坐って何?という初めての方も大歓迎。ご参加お待ちしております!

 

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対話ができる関係性・チームを築くために ワークショップデザイン × ファシリテーション でサポートする人。 プロフィール

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