わたしたちのいろ

対話の場のプロセスデザイナー・ファシリテーター玄道優子のブログ。自分自身と他者の関係性を探求する私が、本音ばかりを語ります。

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あなたの才能は魅せること?伝えること? 自然にできることと、学び得たことは広げ方が違うと思う。

   

最近、何名かの友人に「あまりネガティブな感情を露わに出来ない」という話を聞きました。特に不快に思ったことを伝えたり、すごく腹が立ったのにそれを言えなかったり、Noと言えなかったり。

 

最初は「へぇ、そういう人もいるんだな」くらいだったのですが、ここのところ何人かから同じような話を聞く機会があり、ちょっと考えてみたことを今日は書いてみます。

 

 

それは、人が自然に出来ることは「魅せる才能」を持っていることであり、学び得ることは「伝える才能」を持っていることだ、ということ。 これまでわざわざ言語化することはなかったのですが、私はこれをうっすら意識して生きています。

 

例えるために一旦話がそれますが、私は昔、学生時代にテニスコーチをやっていました。でも私、運動神経は良くないし、別にテニスも上手くありませんでした(笑)    ただ、上手くない=上達するステップを覚えていることが出来る、なんですね。  これって、運動神経が良くて何となくスッと出来る人には出来ないんです。(だから、テニスが上手い、強いコーチがイコール教えるのが上手いコーチ、ではないです)

 

元々運動神経が良い人は「前足に重心を移動させながらボールを打ちます」とか「ラケットを振り切った後、後ろ足が爪先立ちになっているか意識してください」とか言わなくても出来るんです。 でも、たいして上手くなかった私は、上手くなっていくステップ1つ、1つを分解して教えることが出来るのです。つまり、テニスを教えることについては私は「伝える才能」を発揮する人。

 

 

でも、ある一定のレベルに達したらやっぱり運動神経が良くて、上手くて、強いコーチが必要なんです。「次はあぁなるぞ」とか「あんな風に上手くなれるんだ」とか「魅せる才能」を持った人が。 (しかも、元々ある程度出来る人が、更に上級を目指すステップなら、運動神経の高いコーチの方が教え方が上手かったりもします。自分が行った練習とかを伝えたりね )

 

 

この時の経験から、自分がこの部分は「魅せる才能」なのか「伝える才能」なのか、はうっすら意識して過ごすようになりました。

 

 

「魅せる才能」というのは自然に出来ること、自分では息を吸って吐くくらいに自然なことなので才能として気づきづらい部分のこと、ですね。 気づくためには人に良くお願いされること、なぜか人に褒められるけど「え?みんなそうじゃないの?」と感じること、普通だと思っていたけど発信したら反響が大きかったもの、などに着目してみると良いです。

 

私の場合は、可視化・言語化する力(資料作るとか、人に依頼されることが多い。言語化も上手いと人に言われる)、思考・内省する力(いろんな場を開くときにかなり細かく考える方だけど、皆自分くらい細かく考えるのが普通だと思ってた)、ネガティブを軽やかに扱う力( この記事とか、最近書いた中では反響があった記事ですが、私自身は「え、普通にNoって言えばいいじゃん」くらいの感覚)は伝えるよりは、魅せる領域、と思っています。 *厳密にいうと魅せるも伝え方の一種ですが、ここで意味しているのは「私はこうです」と表現する領域という意味ね。

 

「伝える才能」とは後天的に学び得たこと。上達するステップを覚えていられるチャンスを持っていた領域のことです。私の場合は、テニス初心者の人をラリーが出来るまで上達させる、はもちろんですが、チームの話し合いを効果的にする方法、場づくりのプロセスデザインなどは自分で学び、実践し、体感して伝えられるようになったため、伝える才能を発揮する領域だと思っています。あと、ブログには書いてないけど、私はスピリチュアルなこととかエネルギーのこととかもそこそこ詳しいので、「この人センスありそう!」っていう人には勝手に伝えたりしています・笑

 

 

話が逸れましたが、最初の、友人に「あまりネガティブな感情を露わに出来ない」と言われた話に戻ります。私はネガティブな感情を露わにすることにはほとんど抵抗がないので、怒りたかったらあっさり怒ってますし、不快だったらはっきり「不快です」と伝えています。( もちろんその代わり、自分がされるのもOK )

 

これは別の記事でも書いた通り、家庭環境がそもそも怒ったり、Noを言ったり、不快感を露わにすることを受け入れあえる環境で育ったことが起因しているのですが、それもあって私は「ネガティブなことは言っちゃいけない」というような思い込み?価値観?を持っている人の気持ちがあまり分かりません。

 

だからからか(?)その友人からすると私は「ちゃんと怒りとか不快感を表明しても、人と関係性は築ける」ということを魅せてくれる存在、なのだそう。 ( 私からすると「え!別に人に怒ったって大丈夫だよ!」くらいの感覚… )

 

その代わり、彼女のように「自分のネガティブな感情を露わにすること」に抵抗がある人にとっては、彼女が「今、少しずつこんなことを言えるようになってきた」と優しく微笑む在り方にとても救われる人が多いんじゃないかなと私自身は感じます。  彼女はネガティブな感情を露わにすることに置いては、伝える才能がある人だと私は思う。

 

限られた時間の人生、私は自分の才能は最大限社会に活かして生きていたいなぁと思います。私たちが今、やっていることは魅せる才能でしょうか。それとも伝える才能でしょうか。その意識のバランスで自分が広めたいことの広め方が決まってくるのかなと思います。

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