わたしたちのいろ

ファシリテーター ・ システムコーチの玄道優子のブログ。自分自身と他者の関係性を探求する私が、本音ばかりを語ります。

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遠慮は絶妙な自己保身、罪悪感はいい人アピール、私は自分の中のやましさを直視する生き方がしたい

   

またまたTwitterで興味深い記事を発見しました。

 
ちょっとだけ抜粋しておきますね。(でも、原文を読んでね!)
 

「わたくしのようなものが、委員長なんて器ではないのですが……」
彼女の遠慮がちなその挨拶の言葉を聞いて、私ちょっとイラっとした。

 

ひとは、自分の短所を受容することを恐れる。
それと同じように、いや、もしかするとそれ以上に、自分の長所を受容することも実は恐れている。

 

知能、リーダーの資質、美しさ、影響力の大きさ、やさしさ、自信、楽天さ、華やかさ。
それらを受け入れると、同時に発生する責任や周りからの妬み、期待に応えられなかった時の恥への恐れも同時に引き受けなければならなくなるからだ。

 

よって、ひとは遠慮や謙遜をして、その持てるものを出し惜しみする。
周りは、社会は、そのひとの資質を享受できなくなる。そういうことに、私はカチンとくるのだ。

 

 

私も、「私なんかが」と言う言葉を使う人にはイラっとするような、そんな人はどうでもいいやという無関心感が湧くような、モヤモヤした気持ちになります。

 

 

そもそも「私なんか」って自分を下に見てる。そんな風に自分のことをバカにした言葉を使う人を見ると「この人自分の魂を虐げてるな〜」って腹立つ気持ちが湧くのと同時に「自分をバカにする選択ってその人の好みだからしょうがないか」という他人事感が湧きます。

 

だってこの場合、「皆に選んでもらえて嬉しいです」って受け止める選択もできる。それをわざわざ自分を貶める選択をするなんて、その人の生き方の好みでしかないからです。こういう選択ってその人の生き方の「癖」みたいなものだし。

 

( 別の例で言うと、例えば人に助けてもらったときに、「力を貸してくれてありがとう(*^^*) 」という喜びの感情と言葉を選択する人もいれば「迷惑かけてごめんなさい」という罪悪感の感情と言葉を選択する人もいますよね。)

 

 

企業でチーム作りの仕事をしていても、「遠慮」と言う言葉は本当によく出てきます。でも私、「遠慮してしまいます」って人は「私、傷つきたくないんです」「踏み込む勇気がありません」「そこまであなたに踏み込んで付き合いたくはありません」だと思ってます。いわゆる自己保身。

 

 

自分を守ることは大切なことだし、もちろん私も相手に遠慮することはあります。ただし、遠慮の気持ちが出てきたら「あ、遠慮して自分を守ってる。この人との関係は本当にそれでいいかな?」と自分の気持ちをチェック。もう一歩踏み込んで関わるかどうかを決めていますし、相手との関係性を見直したりしています。  ( 例えば異性として相手を好きな気持ちが芽生えてきた時って、嫌われたくない気持ちが高まるから遠慮も高まりますよね。遠慮の気持ちが湧いたら「あ、今どうして遠慮の気持ちが湧くんだろう」と自分の奥を探ってみると言う意味です。)

 

 

 

同様に「罪悪感があって…」という人も「私、いい人なんです」って言いたいだけだと思ってる。

 

 

この記事すっごく私にヒット!絶対読んでください。
罪悪感の本質とは「善人ごっこ」というマウンティング。ザ・優越感❤︎

*さきこさんの記事って全記事シェアしたいくらい私にとっては拍手喝采ものの記事ばかりなので、女性性について知りたい方、自分と向き合う方法が分からない方は数年分全部記事読んだ方がいいよ^ ^

 

かなり昔ですが、以前は付き合ってるパートナーより稼ぐことに罪悪感を持ってる時期がありました。 ただの「私は男性をちゃんとたててあげたい気持ちを持ってるいい人なんですよ」アピールだったと思います。書いてて吐きそうに恥ずかしい…(._.)   これもちゃんと「あ、今どうして自分は罪悪感が湧くのかな」と自分と向き合った結果、これは捨て去りましたけど。  (今は、男女どちらが稼いだっていい♡と思ってます。)

 

 

遠慮とか、罪悪感とか、こういう感情が湧いた時こそ丁寧に自分を見るようにしています。ただ、特に罪悪感を見つめるとやましい自分と対峙することになるので、ものすごく恥ずかしい気持ちになる。でも、自分と向き合うって自分に湧くどんな感情も丁寧に見ていくことだと思うから、こういう感情が湧いた時こそ自分と向き合うチャンス。「なぜ、遠慮するか」「なぜ罪悪感を感じるか」を深くみていくと自分が大切にしたいことや、勝手な思い込みに気づくからです。

 

 

自分の中にあるやましさを直視するのって恥ずかしいし、痛い。でも、自分とまっすぐ向き合っている人の方が、自分を知っていてずっとずっとかっこいい生き方だなと思うのです。

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